作業メモとか考えた事とか (2008年7月)

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2008/7/10 (木)

万巻の書を懐に、街に出よう

先日、/.jp に「ソニー・松下が国内電子書籍端末ビジネスから撤退」という記事が出ていた。私の理想とする未来が実現される日がまた遠ざかったことになり、とても悲しい。去年まで働いていた会社では学術論文の電子出版に関するシステム構築に携わっていたし、その前から個人環境の整備としてフォントをいじっていて、画面の上に美しくテキストを表示させることにこだわっていた。

その私はこのどちらの電子読書端末も持っていない。「おまえのような奴が買うべき商品を買わないから撤退されてしまったのだ」と非難されても仕方がない。

なぜ買わなかったのか。多くの人が「コンテンツ不足」がその原因だと指摘しているが、私の場合は違う。コンテンツがどうこう以前に、ハードウェアとしての魅力に乏く、「欲しい」という欲望を沸き立たせるに至らなかった。毎年夏に開かれるデジタルパブリッシングフェアへ、これらの実機を触りに行っては期待した性能が出ていないことを知り、がっかりして帰ってきたものだ。

2003 年の ΣBook は青焼きコピーみたいな色をしたコントラストの悪い画面だったし、2004 年に出た Librié は黒くはなっていたが 4 階調でザラつきが目立ち、おまけに表示画面のまわりに大きな余白と余計なミニキーボードが下についていて、満員電車の中で片手で持って読むには向かない大きさになっていた。

E-Ink の電子ペーパーという技術にこだわったのは、失敗だったように思う。電子ペーパーには「電源を切っても表示が消えない」という素晴らしい属性があるが、その代わり、書き換えが遅いという欠陥がある。「リサイクル可能なプリントアウト媒体」として使うべき物であって、1 画面を順次書き換えながら読むモバイル端末に向くはずがない。ΣBook は 2 画面を紙の本と同じように開くスタイルだったが、あれは書き換えの遅さを補う苦肉の策だったのだろう。その結果としてなおさら持ち運びしにくいものになった (表示画面の大きさと手に収まる小ささのトレードオフで、幅 70mm 程度が適正サイズだと個人的には思う)。

2006 年になり、見開き 2 画面も電子ペーパーも諦めてカラーの TFT 液晶を搭載した Words Gear が登場したが、この時にはずっと高解像度の液晶が携帯電話に搭載され始めていた。 ΣBook、Librié、Words Gear の 3 機種どれも、 170〜180 ppi という解像度は共通して変わることが無かった。実はこの「170 ppi」という解像度は、私が2004 年に購入したノート PC に搭載された 15 インチ QXGA (2048×1536ドット) 液晶画面 (もちろんカラー) と同じ荒さなのである。100 ppi 程度の CRT や液晶 ディスプレイばかり見て生活している人には細かく見えるかもしれないが、目が肥えてしまった私にとっては特別な魅力を感じる解像度ではない。QXGA 搭載のノート PC を使ったことのない人は「1個1個のドットが見えないんじゃない?」なんて言うが、そんなことはない。 3 日もすれば荒さが目立ってくる。通常サイズの文字にアンチエイリアスをかけると滲んで見える。

PC 用液晶ディスプレイの解像度が一向に上がらずにただ画面サイズばかり大きくしている間、携帯電話や PDA はどんどん進歩しつづけ、画面の精細度を上げてきている。内田明さんが 2005 年 9 月にまとめた表では上限が 216.2 ppi となっているが、2008 年 7 月現在、 ワンセグ対応の WVGA 画面を搭載した携帯電話は 300 ppi を少し超えたところにある。既に 2.7 インチの QHD (960×540ドット) 液晶モジュールがサンプル出荷を始めているから、 今年の年末には 400 ppi を超える表示画面を備えた携帯電話が販売されるだろう。

内田さんが書かれているように、96ppi から 170 ppi になった時に表示品質に段違いの差があるのと同様に、170 ppi から 310 ppi になるとまた次の感動が訪れる。11 ポイントの文字がおよそ 48 ドットになるのだ。しかもこのくらいになると、日本語テキストにアンチエイリアスを適用してもボケて読みにくい感じにはならない (ただし、文字面に濃い薄いのムラが現れる)。ClearType もその威力を発揮して非常に美しい。

今さら言うまでもないことだが、漢字かな交じり文を表示する日本語の表示に比べ、アルファベットだけの表示に必要な解像度は低いのだろう。日本で撤退した Librié を尻目に英語版の Sony Reader はほとんど同じ表示スペックで売れている (今年 4 月にカナダにも進出したそうだ) し、Amazon Kindle も 同じ 167 ppi の電子ペーパーを使っている。iPhone にしても初代以来の解像度 160 ppi より画面を精細化するつもりはないようだ。 先日ゴタンダソニックで講演をしたクリスチャン・シュウォーツ氏も、「これからは画面でドット文字を見る割合がますます増えて、フォントデザイナーのやるべき仕事なんて無くなるんじゃない?」という挑発的な質問に「もっと解像度が上がれば、新聞書体のような再現性に難のある使用環境でのフォント開発のノウハウが生かせるようになると思う。先日はじめてiPhone の表示画面を見たが、非常に美しかった。あれくらいになればもうほとんど変わりが無い」というふうに答えていた。

アンチエイリアスの文字を常用しても違和感のない解像度というと、日本語では最低 300 ppi となるのだろう。去年の末、いまの会社に入るにあたって携帯電話を買うことにしたとき、テキストデータを読む端末として使えることを念頭に置いて機種を選んだ。条件はたった2つ。PC 用のフォントがインストールできること。そして、VGA 以上の解像度があること。

その時点で条件を満たす機種は AdEs (WS011SH) しかなかった。解像度は 800×480 ドットの WXGA, Windows Mobile 搭載なので TrueType をインストールすることができる (残念ながら OpenType は使えない)。PHS が使いたいわけでも Windows Mobile が使いたいわけでもないが、フォント環境で選んだら必然的にこの機種となった。

使用ソフトは青空子猫。 昨年青空文庫のパーティーに参加したときに頂いた DVD「蔵書6300」に入っている全テキストファイルをインストールした。かつて夢見てきた、本棚の内容を常時持ち歩くという理想の環境が不完全ながらも実現された形である。音楽では iPod の登場により当たり前になったこの環境が書籍でも早く実現されてほしいものである。

1 文字が 50 ドット弱のグレイスケールで表示できると、各社の明朝体の違いがちゃんとわかる。MS明朝と本明朝の違いが判るくらいである。やっぱり長時間かけて小説を読むには、最初から入っている MS 明朝ではなく、もっと味わいのある書体を入れて読みたいものである。

いま市販されているフォントの中では、イワタ明朝体オールドがいちばん「小説を読んでいる」という感じを味わわせてくれる。今まで読んできた小説本の中で、最も長時間目に触れてきた書体だからだろう。この書体で縦組みにすると、画面が強烈な「小説らしさ」を発してくるのである。

論より証拠、画面をお見せしよう。 残念ながら、荒い画面で見たのでは高解像度画面の精細な美しさが分からないので、大きく表示した画面から離れ、携帯電話の画面サイズになったところで見てほしい。本当のことを言えば、実機にインストールしたものを見てほしい。私の知り合いの人は私にあった機会にぜひご覧いただきたい。

311dpi の液晶画面で表示する場合、イワタ明朝体オールドでは少し細いようである。「て」の字など、ジャギーが目立ってしまう。 的場仁利さんの「文字のウエイトについて」によると

組版のプロの現場では、(中略) イワタのオールド系の明朝体では細明朝体しか使われません。

とのことだが、液晶デバイスに表示させるには活字と全く同じウェイトにこだわらないほうがいいように感じる。

プロユースの書体である。近くの PC ショップに行っても売っていないだろう。 値段が高いんでないの? と思う方に耳寄りな情報を。 毎年夏に開催されるデジタルパブリッシングフェアで、イワタは半額でフォントを売っている。(私も去年までは毎年通って好きな書体を少しずつ買い揃えていた)。 TrueType なら 1 書体 4000 円で買えるので、ぜひこのチャンスを逃さずに購入することをお勧めする。 今年は今日10日から、13日(日)までが開催日である。

お待ちしております。